【艦これ】ボーキサイトの備蓄法とその増加ペース
ボーキサイトを貯めよう
始めに
艦これ第2期初のイベント2018初秋イベント「抜錨!連合艦隊西へ!」ももうすぐ終了が見えてきた頃合いですが、皆様もうクリアは出来たでしょうか?ネルソンと会えてない人は早く海域攻略に戻りましょう。
イベントで資源の備蓄を盛大に溶かしてしまったわけですが、回復させるのはなかなかの難題です。特に今回のテーマであるボーキサイトは、そこそこ消費が激しいのに高効率の遠征が無かったりして、貯めるとなると本気でかからなければいけません。しかし、実際に本気で備蓄に回った時にどの程度稼ぐことができるのかが不明では、イベント前の備蓄計画も立てることができません。そこで今回は1か月間ボーキサイト回収に注力しつつ、その他の資源もそれなりに回収することを目指した結果についてまとめました。
勲章は出来るだけ取っておきたいので、1-5~4-5までのEOは全部こなします。また、毎日の演習も経験値がおいしいので、できるだけこなします。
1.ボーキサイトの増加ペース
ボーキサイトの備蓄を行っていた2018年7月のボーキサイトの増加量を以下に掲示します。
fig.1 2018年7月期ボーキサイト増加量
なんと1か月で50000以上貯めることができています。事前の想定では40000がいいところだったはずなんですが……。
fig.2 8月初めのの戦績画面
現在の資材の自然回復上限は29000なので、fig.1はほぼ自然回復上限から始まったといってよさそうです。ちなみに、80000くらいボーキサイトがあれば、大規模イベントで何も考えずに空母と基地航空隊を投入しても甲クリアまで行けます。
2.ボーキサイトを貯めるためにやること
- 出費を抑える
- 遠征、任務で稼ぐ
この2つです。基本なので、今更過ぎる気もします。
「出費を抑える」について
艦載機が撃墜されるとその補充にボーキが必要になります。撃墜されるのは主に敵艦を攻撃する艦爆、艦攻、水上爆撃機です。要するに空母、航空戦艦、航空巡洋艦を出撃させなければ(演習含む)ボーキは減らないわけです。と、理論上はそうなのですが、空母がいないと制空権が取れず、弾着観測射撃が撃てないなどでメリットが多すぎます。
ここで利用するのが「制空権確保、または航空優勢状態の時、味方戦闘機はほとんど損耗しない」という仕様を利用します。具体的には、空母には戦闘機だけ乗せる、艦隊内の空母の数は出来るだけ少なくする(基本的に1隻だけで良い)、の2点です。
「遠征、任務で稼ぐ」について
遠征は「11.ボーキサイト輸送任務」をひたすら行います。1艦隊だけやれば後の艦隊は東京急行など、他の資源の遠征に回しても上記のボーキサイト収入を得ることができました。もちろん防空射撃演習などに回してボーキサイト回収に特化させてもOKです。
遠征の編成で気を付けることは海防艦4大発搭載可能艦2(駆逐1軽巡1くらい?)をキラキラ状態で遠征に出すことで、常に大成功を狙います。キラ付けは1-5で先制対潜を利用すると簡単です。遠征用艦隊が2セットあると土日にキラ付けをして平日は遠征だけ、ということも可能です。1日4回ペースで大体3日くらいキラキラが持ちます。
起床後、昼休み、帰宅後、寝る前の一日4回遠征を出していました。大発を4個積むと+20%、遠征大成功で1.5倍となるので遠征1回につきおおよそ420くらい稼ぐことができます。よって遠征のみで1日に1600~1700程度のボーキを稼ぐことができます。
遠征に加えて、任務の報酬としても資源を受け取ることができます。
デイリー任務を全部やると合計1150もらえるようですが、開発、建造で最低値でやっても160ほど使うので実質990ですね。ただ、遠征と合わせて1日2000も稼ぐことができれば月に5万の備蓄は達成できるので、任務は出撃、遠征、開発・建造だけやればいいと思います。(出撃は「10回出撃せよ」まで)
まとめ
2018初秋イベントを甲甲甲乙甲でクリアしましたが、そこまででボーキサイトを50000消費しました。その後E5-3の甲掘りで(2隻目のプリンツ・オイゲン狙い)既に20000溶かしています。この調子で行くとイベント終了までにもう2万くらい消費して残り50000くらいになりそうなんですが、来週からの秋刀魚イベは大丈夫なんでしょうか?
親知らず抜歯の話
親知らずを抜く
先日親知らずを抜きました。何となく思ってたことと違った点と、思ってた通りだった点があったのでそのまとめ。
Q:痛い?
A:痛くない(手術中)痛い(麻酔切れた後)
麻酔の注射がすごく痛いんじゃないかと勝手にビビってたんですが、最近の麻酔は注射じゃなくて、歯茎に麻酔薬をぶっかける感じでした。注意点としては、歯と歯茎の間まで麻酔薬をぶっかけるために器具がそこまで侵入してくる点。「なんか突っ込まれてる!」感がすごかった。痛くはないけど。
麻酔はすぐ効いてくるのでそのまま手術。痛くはないけど、痛くなったらどうしようという謎の不安でいっぱいだった。まず親知らずを少し削ってスペースを作るのですが、削るということは当然歯医者の高周波音を聞かされるわけでつらかった。加えて、削るだけじゃなくて歯の頭部分を切り落とすので、切り落とす最後の時にバキ!だかゴキ!だかのデカい音がして心臓に悪い。痛くないけど。
親知らずをどうやって抜くかというと、先ほど作ったスペースを使って、てこの原理を使いながらグラグラ揺らして引っこ抜くんだそうだ。抜けたときは全く何も感じなかった。先生に「抜けましたよ~」って言われて知った。ここまで麻酔開始から約40分。何となく痛いような気もするけど多分気のせい。
あとは傷口を縫合して終了。3針か4針くらい縫った気がする。縫合後に追い麻酔。麻酔効果が+1時間された。お会計はなんとたったの4,530円。自己負担3割ってやっぱり神。
処方された薬は、「抗生物質」「痛み止め」「胃薬」「うがい薬」の4点。胃薬は痛み止めで胃が荒れるのを防ぐためだそうだ。ちなみに痛み止めは頓服じゃなくて毎食後に飲むやつだった。薬局へ行って薬を購入。640円也。自己負担3割ありがとう。
そして帰宅。麻酔が切れるまでの時間は個人差があるとの話だったけど、帰ってから1時間くらいは大丈夫だった。切れた後は普通に痛い。骨を引っこ抜いたし、歯茎も切り裂いたわけだから当然だけど痛い。泣くほどじゃないけど割とつらいレベル。
問題はご飯なんですが、顎を動かすとかなり痛む。口を大きく開けるなんて論外。ここしばらくはもっぱらCOMPばっかり飲んで生きてます。こういうシチュエーションでも利用できることをCOMPはもっとアピールすればいいと思う。口の中が痛いので、当然歯磨きも、抜いた側は出来ません。痛み止め飲むと痛くなくなるけど、刺激を与えると痛み止めの効果を上回ってしまうので当日は早く寝てしまう方がよさそう。
2日目はだいぶ痛みもなくなって、何かに集中してれば問題なく過ごせた。ただし、すごく腫れて顔の輪郭が左右非対称になったのは思わず笑った。漫画の表現は誇張(極大)じゃなくて誇張(小)くらいだった。
3日目もあまり変わらず。4日目になってようやく少し腫れが引いてきた気がする。輪郭はまだ非対称だけどな!でもそろそろ普通のご飯は食べられそう。
世界遺産 韮山反射炉と当時の大砲製造技術
世界遺産 韮山反射炉
世界文化遺産 明治日本の産業革命遺産 韮山反射炉へ行ってきました。
韮山反射炉築造の歴史的背景
1850年代、黒船の来航をきっかけに、西欧列強に対して自国を守るべく海防体制の強化が緊急の課題であることが明らかとなった。日本列島は島国であるため、外敵がやってくるとすればそれは必然的に海からくることとなる。しかし、既に大名が天下の覇を競った戦国の世は遠く、江戸250年の泰平を謳歌していた日本には、列強の黒船に対抗するだけの技術力が存在しなかった。
当時の日本の大砲は戦国末期~江戸初期でその進化を止めており、西洋の最新の大砲と比較して、射程、威力ともに天と地ほどの差があった。このため、まずは西洋の技術を習得し、西洋式の大砲を製造、配備することで日本進出を狙う列強に対抗しようという目的で築造されたのがこの韮山反射炉である。*1
反射炉の仕組み
反射炉とは、金属を溶かすための溶解炉の一種であり、17~18世紀にかけて欧州で発達した。現代では、鉄の精錬には転炉が用いられているが、銅やアルミニウムの精錬に反射炉が用いられているとのこと。余談だが、反射炉は銑鉄を材料に用いて精錬を行うための炉であり、高炉は鉄鉱石を熱処理し、銑鉄を取り出すための炉である。
反射炉の構造は、その名の通り、熱を反射させ、材料を溶かすようになっている。石炭等を燃料とし、発生した熱を炉の天井で「反射」させ、材料に熱を集中させることで、材料の融解に必要な高温を得る。*2
図2:反射炉模式図
- 燃料から発生した熱は炉の天井に反射し、銑鉄へと集中する
- 融けた鉄は出湯口から取り出され、鋳型へと導かれる
韮山反射炉築造当時においては高温を測定できるセンサなどは存在しなかったために、炉の稼働は融解鉄の色を判断しやすい夜間に行われた。燃料は石炭や木炭などを利用していたようである。また、耐火服なども当然存在しなかったため、作業者は褌1枚を身に着けたのみで作業に当たっていた。これは、高温の融解鉄等が服に付着すると、肌に直接触れるよりも重症化しやすいためであった。
当時の大砲製造法
当時の前装式砲は反射炉で融かした鉄を鋳型で型どりし、その後中心部を旋盤でくりぬく方法で製造されていた。大砲の製造法の進化として、初期のころは鍛造による製造、時代が下り、大口径が求められるようになると鋳造による製造へと変化していった。韮山反射炉で行われていたのは鋳造による大砲の製造である。鋳造による大砲の製造は、鋳造時に鋳型に中子を仕込みそのまま完成とする方法、中子により空いた穴を旋盤加工により一定の口径に仕上げたのち完成とする方法、中子なしで砲身を鋳造し、穴あけから旋盤加工を行い仕上げる方法がある。当然のことながら、並べた順が時代順である。
鋳造時に中子を仕込みそのまま完成とする方法では、中子を鋳型の中心に完全に固定しておくことが事実上不可能であり、砲身の肉厚にバラつきができてしまう。また、中子の寸法により口径が決定されるが、全く同じ中子を使いまわしできない以上、大砲の口径にはばらつきがあり、発射する砲弾は口径に対して小さめにならざるを得なく、砲身と砲弾の隙間から火薬の燃焼ガスが漏れるといった弊害があった。
ルネサンス時代になると、この中子で開けておいた穴を水力旋盤等で中ぐりして広げ、ある程度一定の口径を得ることができていたようである。しかし、この方法では鋳造時の中子のずれに起因する砲身の肉厚の不均一は依然として解決されていなかった。
この問題が解決されたのは1750年頃になってからである。スイス人の大砲技師ジャン・マリッツは砲身を中身の詰まった1本の塊として鋳造し、その後砲口を開けることで、砲口の位置は砲身に対して正確に中央に位置し、360度均一な厚みを持つ砲身を製造することに成功した。また、中身の詰まった金属塊を鋳造することは、砲身の材料強度に対しても好影響をもたらした。鋳造において鋳型に流し込まれた金属は外側から冷えて固まっていくが、この時、より低融点の不純物は中心部にたまる傾向がある。以前の中子法では砲身に不純物の多い弱い個所が発生することは防ぐことができなかったが、この方法では不純物を中心部に集めたのち中ぐりにより取り除くことで、均質な材質の砲身を製造することが可能になったのである。*3
図3:韮山反射炉では反射炉へ投入する前にたたら場で1度融かして形状を整えた*4
図4:融解工程。反射炉で融かされた鉄は鋳型(縦型)へ流し込まれる*5
図5:穴あけ工程の流れ。削り屑の重量は砲身と同じかそれ以上だったとか*6
韮山反射炉(およびその付随施設)では中子法でも大砲の製造がおこなわれていたが、主としてマリッツの中ぐり法が用いられていた。旋盤の動力となったのは、すぐ隣を流れる韮山古川の水力である。完成ののち、何発か試射をして引き渡しとなった。
日本製洋式砲の製造に大きな役割を果たした韮山反射炉ではあるが、実験炉、試作炉としての性格が強かったのか、1857年の竣工からわずか7年後の1864年を最後に大砲の製造は中止された。
参考文献
[1]伊豆の国市観光文化部世界遺産化(2017),韮山反射炉パンフレット
[2]W.H.マクニール(2014)『戦争の世界史(上)ー技術と軍隊と社会』高橋均訳,中央公論新社
[3]橋本毅彦(2013-2014)『「ものづくり」の科学史ー世界を変えた《標準革命》』講談社
サバの水煮缶詰の使い道 ー炊き込みご飯ー
サバの水煮の缶詰
前書き
サバの水煮は、缶詰の中でも最も一般的な物の一つなのではないでしょうか?値段も一缶150円前後とかなりお得。味もしっかりと塩味がついており、おいしい。水煮という名前ですが、そのまま水で茹でたわけじゃないんですね。それに加えてサバは青魚なので体にも良い、骨も柔らかいのでカルシウムもとれると良い点が多い食品です。(もちろん缶詰なので長期保存可能)
しかし、弱点もあります。なんといってもそのまま食べると微妙にモソモソしているというか、身に水分が少なくて食べづらかったりします。加えて、水煮の汁の処分に困るのがお約束です。
これらの弱点を克服するために、どう調理すれば良いかを頭を絞って考えたので、レシピを公開。
サバの水煮缶詰の炊き込みご飯 材料
お米 1合
サバの缶詰 1缶
昆布だし(粉末タイプ) 小さじ1~2
(面倒でなければ)生姜千切り 欲しい分だけ
サバの水煮缶詰の炊き込みご飯 作り方
材料を全部炊飯器に突っ込んで普通に炊飯してください。缶詰の汁も全部入れるので、水加減に注意。
順番としては、
- お米を洗う
- 炊飯釜に材料を全部投入
- 水加減を調整
- 炊飯スイッチを押す
- 炊けたらしゃもじでサバの身をほぐすように全体を混ぜる
- 食べる
となります。2番の材料投入時には、サバの身だけでなく、缶詰内の水分も全部入れてください。昆布だしはサバの動物系のだしに対して植物系っぽいので入れます。多分無くても何とかなる。
味について
サバの水煮缶詰の味がします。塩味がついているので、おかずを作るときは薄目の味付けを意識すると良いでしょう。生姜を入れると臭みが消えてもっとおいしくなる可能性もあります。
このレシピの欠点
炊飯釜がサバの油まみれになるので、やった後はしっかりと洗剤で洗う必要があります。しゃもじも細かいサバの身と油がつくので、きちんと洗いましょう。
油分については鯖缶を使用する以上どうしようもないので諦めています。弁当にもっていくときにメインのおかずを1品作らなくてよいので、その手間と相殺です。
艦これ 5-3出撃任務「夜間突入!敵上陸部隊を叩け!」攻略について
「夜間突入!敵上陸部隊を叩け!」攻略
基地航空隊第2部隊を通常海域で使うために、設営隊2個目をゲットするための任務。
いわずと知れた難関海域である5-3でボスにA勝利以上することでクリアとなる。
5-3は道中が夜戦マスであることに加え、ボスへの完全なルート固定ができないため、練度、装備に問題がなくても運が悪いとなかなかクリアできないことが予想される。
支援なしでのクリアを目指す。試行回数で勝負。
編成について
ルート固定ができないといっても、編成である程度は羅針盤を制御することが可能であるため、それを念頭に置きつつ艦隊を編成する。
道中2戦(C、Dマス)の最短ルートを通るための採用艦は、
が基本となる。
空母を採用するとDマスでEマスへと逸れるため、採用不可。
また、どのような編成でもD→Eマスへの逸れはあるらしい(5-5でE風に耐える練習だと考えるか?)
以上を加味して、次のような編成を組んでみた。装備については後述。
装備について
傾向
夜戦でカットインを狙う必要のあるような高装甲の敵艦はいないため、夜戦連撃装備を基本として採用したい。照明弾は所持しているならば持ち込むべき。夜偵は道中では有効であるが、ボスで制空均衡で妥協する場合発動しない。その分ほかの装備を積むのも十分に選択肢として存在する。探照灯は道中が夜戦マスであるためNG(装備艦に攻撃が集中するため大破し易くなるため、道中には向かない)
艦載機
ボスマスでは敵の南方棲戦姫が艦載機を飛ばしてくるため、水上戦闘機(以下、水戦と呼称する)による制空補助は必須。制空均衡以上に持ち込まない場合、敵の弾着観測射撃でボロボロにされる。また、空母ヲ級flagshipが出現する編成があるため、水戦は熟練度Maxのものが制空均衡で妥協する場合でも2スロットは必要になる。なお、3スロットでヲ級なし編成から航空優勢を、4スロットでヲ級あり編成でも優勢をとれるようになる。戦艦2編成などで有効か。
対潜装備
道中の夜戦マスに気を取られがちであるが、ボスには潜水艦交じりの編成が2/3存在する。潜水艦対策を怠っていくと、せっかく無傷でボスにたどり着いても、水雷戦隊の攻撃が全部吸われてA勝利できないことにもなりかねない。なお筆者はそんな状況になった(もう一回遊べるドン!)
夜戦に対応したい関係上、対潜シナジーや先制対潜の条件を満たすのは困難なので、ソナー1スロットによる撃破を狙うことになる。(計算したところ、ソナー1スロットによる複縦陣での対潜攻撃では、同航戦以上でないとヨ級flagshipを沈めるのに現実的な火力がでないことが判明、道中を多少犠牲にして対潜シナジー装備を持ち込むか?)また、ボスA勝利でもクリアとなるので、潜水艦を無視できる艦を大目に編成し、火力で潜水艦以外を殲滅する手もある。
潜水艦撃破を狙うのであれば、ボスでは単縦陣ではなく、複縦陣もしくは単横陣を選択すべき。砲撃戦にもある程度対応できる複縦陣がオススメ。
結果
僅か3回の出撃で終わってしまった。最初の1回は雷巡入り編成で、ボスにたどり着くも潜水艦に攻撃を吸われ、夜戦までしたのにC敗北。2回目はDマスでローマが駆逐のカットインを食らって大破。
クリア時は潜水艦なし、ヲ級入り編成だったので、潜水艦対策は無駄になった形。ただ、反航戦、複縦陣という条件で、昼の間に戦艦、重巡の砲撃のみで3隻沈めていたので、潜水艦入り編成でもA勝利は取れていたと思われる(A勝利の条件は敵艦隊を4隻以上撃沈)
lucky-blue-swastika.hatenablog.com
幸運の青い鍵十字
幸運の青い鍵十字
幸運の青い鍵十字、ハカリスティ(Hakaristi)。それはスウェーデンのローゼン伯爵家における幸運の印であり、1944年まで使用されたフィンランド空軍の国籍マークである。
1917年、帝政ロシアの崩壊に伴う地方小国家の独立運動は、フィンランドにも広がりを見せていた。
フィンランドにおける独立運動はやがて、赤色革命を目指す赤衛軍とそれに対抗する白衛軍との内戦に発展した。この内戦には、フィンランド人だけでなく、数多くの義勇兵も参加していた。その中の一人が、隣国スウェーデンの伯爵、エリック・フォン・ローゼンである。伯爵は義勇兵として白衛軍に参加すると同時に、当時最新鋭の兵器であった飛行機を2機、白衛軍へと提供した。この白衛軍最初の飛行機となる2機のツーリンD型複座偵察機は、幸運を願い、機体に青い鍵十字を描いていた。この青い鍵十字こそが、ローゼン伯爵家の幸運のシンボルであり、その後フィンランド空軍のマークとなるものである。
ローゼン伯爵の持ち込んだ最初の2機を皮切りに、白衛軍は所有機を徐々に増加させていった。そして、それらの機体も最初の2機にあやかって幸運を願い、同様のマークを身に着け出撃していった。
1918年5月、内戦は白衛軍の勝利で幕を閉じた。赤衛軍は国内から一掃され、1920年にはソビエト連邦と平和条約を締結し、晴れてフィンランドは独立国家の道を歩み始める。そして、ローゼン家の幸運のシンボルであった青い鍵十字は正式にフィンランド空軍のマークとして採用され、1944年に連合国に敗れるまで、北欧の空を飛び続けたのである。
参考文献:中山雅洋 (2007)「北欧空戦史」 学習研究社
※学研M文庫版は絶版、ホビージャパン様より単行本が復刊中